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上杉隆
UESUGI TAKASHI
UESUGI TAKASHI HISTORY
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AIクリエイター/プロンプトエンジニア
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シリアルアントレプレナー/個人投資家
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起業家/経営者
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ジャーナリスト/作家
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プロデューサー/プランナー
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大学講師/特任教授(明治大学、横浜国立大学、東洋英和女学院大学、千葉科学大学、桜が丘中学/高校)
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株式会社NOBORDER社主
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『ニューズ・オプエド』プロデューサー/アンカー
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NOBORDER NEWS TOKYO編集主幹
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株式会社八ヶ岳高原テラス顧問
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株式会社The PRカンパニー顧問
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株式会社GPTソリューションズwith chatGPT顧問
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株式会社富士屋ホテル顧問
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鳩山邦夫衆議院議員元公設秘書
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ニューヨークタイムズ東京支局元取材記者
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公益社団法人日本ジャーナリスト協会元理事長
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日本外国特派員協会会員
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日本政策学校顧問
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本山派修験宗僧侶
1968年5月3日
福岡県柳川市の福岡県立柳川病院で生まれる
1969年~幼稚園時代
東京都杉並区へ引越。小学校2年生まで阿佐ヶ谷南1丁目の戸塚荘で過ごす。杉並東洋幼稚園、区立杉並第六小学校に通ったため、九州弁は話せない。
1976年~小学時代
東京都新宿区へ引越。新宿区立鶴巻小学校、区立戸塚第一中学校(現•西早稲田中学校)に通学。小学校で運営委員長(生徒会長)、中学校で学年委員長を務める。
1984年~中学時代
中学時代に貯めたアルバイト代で高校受験、都立広尾高校に合格。15歳で実家を追い出されたものの、新宿区と東京都の奨学金を受けて、生活費を稼ぎながら、渋谷の夜の街と友人宅など寝床を転々とした高校時代を送る。
1987年~高校時代
高校卒業と同時に渋谷や新宿でのフリーター生活に入る。頽廃した生活からの脱出を希望し、一念、大学進学を希望、高校時代の級友らから使い終えた参考書等を譲り受け、独学で受験勉強に臨む。
1988年~大学時代
公立都留文科大学文学部英文学科入学。信州大学、筑波大学は不合格。入学後、富士屋ホテル(山中湖ホテル)で勤務開始。都留文科大学ゴルフサークルを創設。
1989年
ワゴン車で日本一周全国制覇(1都1道2府43県に最低一泊、北海道と沖縄は1週間以上)。温泉等で出会う地元民泊か車内泊、高速道路未使用。
1991年
レンタカーでの北米大陸横断達成(前半、ロサンゼルスからニューオーリンズ(バトンルージュ)、後半ダラス(フォートワース)からニューヨーク)。
1992年
日本放送協会(NHK)記者職内定、10月より先んじて渋谷の放送センターで新人研修およびアルバイト開始。
1993年
都留文科大学卒業単位取得(コンピュータ手続きミスにより卒業年度は1994年扱い)。そのままNHK報道局での勤務継続。
1994年~議員秘書時代
9月、衆議院議員鳩山邦夫事務所に入所。自宅番、家族番、蝶担当、夫人随行、代議士随行、事務局次長、選対広報、国会担当、政策担当、5年勤務し、退職時の肩書は公設第一秘書。
1999年~米国新聞時代
ニューヨークタイムズ東京支局の取材記者となる(2000年NYC研修)。ラジオレギュラー出演等開始。ジャニーズ事務所取材により報復(共演NG)が始まる。富士山低周波地震ハザードマップなどを取材
2000年
処女作『石原慎太郎 5人の参謀』(小学館)を出版。17万部5千部のベストセラーとなる。『週刊朝日』(朝日新聞社)『週刊ポスト』(小学館)『DIAS』(光文社)など新聞・雑誌などで連載開始。
2001年
『田中眞紀子の恩讐』(小学館)出版。5万部越えのベストセラーとなる。朝日新聞、毎日新聞紙上で連載開始。『週刊文春』『諸君!』に寄稿、『文藝春秋』に連載開始。
2002年~ジャーナリスト時代
フリーランスのジャーナリストとして正式に独立。
文芸春秋での一連の田中真紀子外相取材によって「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞。
『田中眞紀子の正体』(草思社)を出版。『月刊現代』(講談社)、『VOICE』(PHP)、『新潮45』(新潮社)連載開始。
アルカイーダ系インドネシア連続テロ取材。ジャカルタ・バリ島での長期取材開始。ラスカル・ジハードおよびジェマーイスラミア幹部との接触に成功する。
2003年
中川昭一政調会長に許可を得、これまで外部に閉ざされてきた自民党記者クラブ(平河クラブ)にて取材。
北朝鮮への入国に成功し、モランボン幼稚園やケチョンの飢餓映像をテレビ各局で流す。帰国後、月刊現代にて『北朝鮮潜入記』を発表。これにより北朝鮮(朝鮮総連)のブラックリストに掲載される。
イラク潜入取材への道中に貨物列車との衝突事故に遭い生死の境を彷徨う。緊急搬送のチャーター機でフランスに運ばれ、パリのアメリカンホスピタルで複数回の手術を経て、リハビリ開始。当初、車椅子生活さえ不可能かと目されていたが、壮絶なリハビリ生活からわずか一年で歩行可能にまで立ち直る。
2005年
ダイヤモンド取材。シベリア・ミールヌイのロシア企業の『アルロサ』幹部のインタビューに成功。『文藝春秋』誌で発表するも、デビアス本社のある南アフリカ共和国への入国を禁止される。
海老沢勝二NHK会長の三選批判記事を『文藝春秋』誌で発表。NHKへ出入り禁止となる。
2006年
ドミニカ移民問題の取材を開始。ドミニカ共和国を訪れ、国賠原告団のインタビューに成功する。
キューバを訪問しフィデル・カストロの弟ラウル・カストロとのインタビューに成功する。なおこの年の7月26日がフィデルの最後の演説となった。
4月、朝日ニュースター「ニュースの深層」のキャスターに抜擢される。放送一回目のゲストは鈴木宗男氏。続いて中川昭一氏、松野頼三氏と立て続けに大物ゲストを呼んで朝日新聞で話題になる。なお、松野氏はこの直後に逝去。生前最後のテレビ出演となった。
『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社)出版。ほとんどのメディアから掲載拒否を受けた稀有な本。
2007年
『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』を出版。出版直後に安倍政権が崩壊したこともあって、9万7千部のベストセラーとなる。発売と同時に安倍事務所ほか多くの自民党議員事務所への出入り禁止となる。
2008年
『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)出版。正確だ辛辣なその内容によって新聞・テレビの政治部からの出入り禁止が始まる。
民主党党大会においてネットメディアの取材参加を実現。麻生総理解散せずのレポートを週刊文春誌上において発表。スクープとなり、局長賞を受ける(松井清人局長)。
2009年
・コペンハーゲンでの東京オリンピック誘致活動へ「謝礼金」を辞退して参加し、クリーンかつ公益となるオリンピックの実現への構想を提言、尽力する。
・3月、小沢一郎民主党代表より、これまで閉ざされてきた記者クラブ開放の言質を取り付け、記者会見オープン化を前進させる。
・8月、松野順久官房副長官(就任前)や内閣参事官などと秘密裏に打ち合わせを重ね、新しい官邸記者会見のシステムを構築、初代「内閣総理大臣報道官」の内示を受けるも、直前で産気新聞一面で報じられ、人事案が消滅する。
・9月、鳩山内閣発足後、外国人特派員記者等の一部が参加可能でもネットメディアが締め出されている点を公約違反であるとして糾弾し、官邸、与党、各省庁の記者クラブを、フリーランス•一部メディアに開放させる。
・官房機密費問題の追及を開始。テレビ・ラジオ番組の降板が始まる。
・世襲議員の問題を追及した『世襲議員のからくり』(文春新書を)出版、麻生太郎前首相事務所など永田町での出入り禁止事務所が急増する。
・「記者クラブ崩壊」(小学館)を出版し、さらに新聞テレビなどの連載打ち切り、出演見合わせが増える。
・ウィキリークスの危険性を指摘し、外務省会見にて岡田克也大臣に国家の情報管理体制について質問と提言(一年後、米軍機密情報漏洩事件が起き、世界各国が対応に追われた)、言質を取るも、国は対応せず。
・東京FM「タイムライン」の初代アンカーを務める(〜2015)。
2010年
・内閣記者会見開放を正式に要請(幹事社:共同通信、フジテレビ)。
・3月、憲政史上はじめて、オープンとなった内閣総理大臣会見で、「御礼の質問」をして、メディアに叩かれる(鳩山由紀夫首相)。
2011年~公益社団法人理事長時代
・東日本大震災で、東京電力がメルトダウン(炉心溶融)の事実を隠蔽して以降、一貫して福島第一原発のメルトダウンに関する情報を発信し続け、「デマ野郎」として扱われはじめる。上杉を含むフリージャーナリストの数名がJOCの原発事故の対処を参考とし、福島原発から退避する情報を持っていたにも関わらず、それらの判断基準を国民に周知しなかった点を糾弾したため、危険人物として排除されはじめる。テレビやラジオなどで、国家賠償訴訟の際にいずれ証拠として必要となるとし、行動記録を取ることを周知したため降板となる。
・公益社団法人「日本ジャーナリスト協会」(旧・自由報道協会)を創設。王丹、ダライ・ラマ14世、ドルテ・ジーデントフ、ロベルト・バッジョ、アレクセイ・ネステレンコ、鳩山由紀夫、石原慎太郎、菅直人、アーニー・ガンダーセン、佐藤優、櫻井よしこ、ラファエル・アルチュニャン、孫正義、小沢一郎、堀江貴文、一色正春、上原春男や、都知事や参院選などの候補者の合同記者会見を実現。
・一般社団法人「Voice of Fukushima」を福島県で創立。当初、佐藤正彦氏とともに共同代表に就任する。
・元電通の武藤真登氏と株式会社「U3W」(ネットメディア)を共同設立、共同代表兼ニュースキャスターを務める。
2012年~シリアルアントレプレナー時代
・7月、株式会社 NOBORDERを設立。日本初のネットスポーツ中継会社として、Tポイントレディスゴルフトーナメントやアディダスカップなどの中継を行う(博報堂DYと)。のちにサイバーエージェントゴルフトーナメントなども。
2013年
・2月、オウンドメディア「U3W」をNOBORDERと統合。多様性のある言論空間の構築のために、AIメディア構想を打ち出す。
2014年
・6月、日本初のライブオンライン報道番組「ニューズ・オプエド」放送開始。プロデューサー兼アンカーを務める。
・東京メトロポリタンテレビ「淳と隆の週刊リテラシー」でロンドンブーツ1号2号の田村淳とダブルキャスターを務める。のちに解説委員となる。
2015年
・5月、「日本ゴルフ改革会議」(JGC)を設立、事務局長を務める(議長は大宅映子氏)。東京オリンピックの会場問題でIOCバッハ会長などへ提言。
2016年
・みんなでつくる報道番組『上杉隆のザ・リテラシー』がスタート。計7回の放送で1500万円のクラファンを集める。
・新潟県の調査委員会によってメルトダウンを判断するマニュアルが東京電力に存在したことが判明したほか、TBSは記者が避難したことを立証する番組を放送。追及してきた事柄が真実であったことが証明され、名誉を回復した。憲政記念館で各界関係者が集まり「上杉隆君の名誉回復の会」を開催される。
・7月、東京都知事選に出馬し、約18万票を得て21人中4位で落選(当選は小池百合子現都知事)。
・11月、米大統領選挙取材。トランプタワーで独占取材し、スクープ映像をNOBORERクレジットで全米に流す。
2017年
・米国ウェストパームビーチでの日米首脳会談(トランプ大統領&安倍晋三首相)を世界で唯一現地取材、映像リポート。
・シンガポールでの米朝首脳会談(金正恩総書記&トランプ大統領)を日本のメディアで唯一の現地取材に成功する。
2018年
・「ニューズオプエド」1000回記念放送
・京都市でAIのソリューション会社「㈱AI SOLUTION KYOTO」(㈱メディアカウンター)を設立し、共同代表に就任する。
2019年~僧侶修行時代
1月、京都聖護院門跡にて得度。本山派修験宗僧侶となる。
4月、中央区長選に出馬。得票率24%余りで次点落選(当選は山本泰人現区長)。
7月、NOBORDER代表取締役社長を退任、N国党(NHKから国民を守る党)の幹事長に就任、国内でのジャーナリズム活動を一時停止する。
8月、ニューヨークでの国連総会取材(コロナ前の最後の海外取材)。
2020年
5月、(株)八ヶ岳高原テラス取締役会長に就任し、25年ぶりにホテル業に参加。
7月、(株)八ヶ岳高原テラスを長野県原村に設立、取締役に就任。
8月、堀江貴文氏の音声メディア「Zatsudan」に参加。
9月、(株)AIソリューション京都(現㈱メディアカウンター)代表取締役に就任。
2021年
3月、立花孝志氏とNHK党の不正を追及したことにより「NHK党」を除名される。
9月、立花孝志氏とNHK党との裁判に勝訴。東京地裁で確定(原告立花請求棄却)。
12月、本田圭佑氏のオウンドメディア「NOW VOICE」に参画。
2022年
2月、立花孝志氏とNHK党との裁判に完全勝訴。東京地裁で確定(原告上杉)。
4月、有田芳生参議院議員を名誉棄損で東京地方裁判所に提訴(原告上杉)。
ジャーナリスト藤本順一氏に名誉棄損で損害賠償請求(原告上杉)。
5月、㈱The PR Company(旧㈱AICC)代表取締役社長を退任(任期満了)。
6月、㈲「にいがた経済新聞」編集主幹に就任。
9月、㈲「にいがた経済新聞」の不正を指摘したことにより同社を解任される。
10月、ジャーナリズム活動を再開
『週刊SPA!』(扶桑社)、6年ぶりに連載を再開
11月、㈱八ヶ岳高原テラス取締役を退任し、オーナーへ(任期満了)。
12月、『ニューズオプエド』2000回放送
・㈱メディアカウンター(旧AIソリューション京都)代表取締役を退任(任期満了)。
2023年
1月、取材・執筆活動再開。
2月、AIメディア®プロジェクト(旧AIメディア構想)を発表。
・(株)AICC元代表取締役への告訴状を警視庁に提出。
3月、「GPTソリューションズ」を立ち上げる。
4月、ダイヤモンド経営者倶楽部で生成AIについて講演(6月も)
5月、株式会社GPTソリューションズ設立。顧問に就任
6月、AIシンジゲート「Shift AI」に、NOBORDER社主として参画
・警備会社AI顧問に就任
7月、Time Out Cafe(リキッドルーム)で17年ぶりにトークショー。AIの未来について
8月、『五輪カルテル』(扶桑社)を出版。発売前にアマゾンでベストセラー1位。
9月、・株式会社 Cyber Dive Institution を設立(代表発起人)
・立花孝志氏に対する告訴状を東京地検特捜部直告班に提出(業務妨害罪)
10月 ・ダイヤモンド経営者倶楽部で生成AIについて講演(4月、6月、10月、11月)
・日本橋ビッグデータ部会で生成AIについて冒頭スピーチ(10月、11月)
・関西企業グループのDX会議で、生成AIについて講演(10月)
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